昨日の文章に抜けていた論点

1、浮気や不倫やアブノーマルセックスなどは単純に悪とか暇な人の趣味とか言い切れないこと

一夫一婦制を基準とするから不倫と言うのであって、もっと自由な世界観を持てば、普通のことになる。そういう観点じゃなくて。背徳的な喜びがある。トラブルや感情のもつれ自体に楽しい面がある。それだけじゃなくて。豊かさや深さや学びがある。それに直面した時に、どう行動するか問われている。僕は、浮気や不倫の話は普通は暇な人の趣味で、僕は他に色々やることがあって、そんなのに関わっている暇がないと切って捨てることが多いですが、まともに受けてしまうと、気が重くなります。

何故かよくわかりませんが、多分、悪を悪として、一人の決まった人がいるのに、他の人に言い寄るというようなことは悪だからやらない、というような単純な線引きをしているのに、そうとも言い切れない。クリーンな世界にとどまって出て行かないことで、失うものも多いというようなことを示唆されて、混乱するということではないかと思います。しかし、それでもやらなくていいと思う。

これは、他のことで経験があるからです。自分に必要のないことなのに、必要がないからやらないと言うと、やりたくないことの言い訳をしているとみなされることがあって、実際やって、そうではないことを証明しないといけない感じがしてやってみて、やってみたところやっぱり自分に必要がなかった、というようなことがあるからです。

誘いをかけるほう、誘われるほう、自分の好きな人に他の人が声をかけてきて、相手がそれに乗るという立場に置かれた人のこと、、、とにかくそういうことが世の中にあって、対処しないといけない場面が存在するということがある。自然になったのであって、最初からそうしようと思っていたわけでない、という理由付けがあります。それも一理あると思います。ただ、僕はやはり、必要なもの深いものが含まれているとしても、他のことで頑張りたいですが。

2、クリスマスの時期に恋人がいないから寂しい、というさっぱりした感じが自立している人?

人と人との出会いと別れは、避けがたくあり、みんな過ぎ去っていく、という世界観がないと、恋人というのは、次々入れ替わっていくもので、冬の時期に何故か空いていることが多いな、という観点が出てこないと思うのですが。僕は、好きな人がもしいたらその人とずっと一緒にいたいと思うと思うので、別れがあって、交代するということを考えると辛くなってしまいます。しかし、人間関係からひきこもらずに、ちゃんと世界と交歓している人にとっては、一期一会的に、その時々、その人がいて、楽しかったし学びがあったし、別れる時は悲しかったけど、また次の場所で次の出会いがあって、という世界観になるのでしょうか。こだわりやとらわれが少ないのかな。

あるいは、逆に、世界に対して深く入って行けてなくて、人との間に深い関係が結べない。深い関係を必要としない。自己愛的である。人を手段として使ってしまっている。ファッションである。そういうふうに疑うこともできるかもしれないけど、でも、そうではなくて、やはり、自然体でいるとそういう発想になるんじゃないかと思います。

3、普通に快適にイノセントに暮らしているのに、自分の身体を欲望の対象として見ている人がいると気付くとき、それは気持ち悪いんじゃないかと思う

女性の立場に立って想像すると、普通に快適にイノセントに暮らしているのに、自分の体を意識しないで暮らしているのに、それをさわりたいだのなんだのと考えている人がどうやらいるらしい、なんかべたべたした感じらしいということを聞いたり見たりすると、それは気持ち悪いんじゃないかと思います。

スキンシップとかコミュニケーションとかいう観点でとらえることを標準にしたらいいと思います。

最初は、彼氏がいる人を見て、進んでる感じとか大人な感じでいいな、と思ったり、ファンタジーであるのかな、王子様と出会いたいとか、自分を愛して欲しい、窮地から救って欲しいとかいうのがあったり、単純にフィジカルに惹かれるとかかな。そのまま危険な地域を通り抜けなくても、普通に大事にされる暮らしに移行してもいいと思うのですが(女性を大事に、少なくとも、したい、と思う男性は少なくない数いるのはいると思います)、人を見る目をもって、判断できたほうがいいような気がします。不幸な人は自分を不幸にするような人を求めてしまい、同じパターンを繰り返す傾向があるそうなので、難しいですが。やはり、理想状態を実現するというイメージでなくて、個々人が自分の課題に向き合う、余裕があれば、他の人におせっかいを焼くという感じでしょうか。

余談ですが、相手のことが理解できるということは、共感力があるというより、同じ部分を持ってないとできない、というのが最近知った観点です。