援助交際、ナンパなど、「女の子」を傷つける方向のまなざし

「不良」とか「不純異性交遊」とか、家庭から預かっている子供の将来に傷が付くような問題行動は、できれば無くしたい、僕が学校に行っている時の学校の態度はそういう印象がありました。問題を無くしたい、というのは、警察の交通課の仕事ぶりを見て感じるのと同じ印象です。事故をゼロにしたいという。

問題行動にも、色々な面があって、やらざるをえない面、やったほうがいい面もあると思いますが、やらないほうがいいと言われたらそういう気もします。今思えば、将来どういう仕事に就くか、と、自分はどういうふうに生きていくのか、ということを中心に考えたらいいと思いますが、当時は、何を中心に考えたらいいのかわからなくて、でも、学校で行われている議論が、あまり重要でないことを取り扱うばかりで、本当に大事なことが抜け落ちている感じがしました。破壊活動はしない、女の子を傷つけない、それで終わりで、さっさと片付けて次を見たい、自分としてはそういう思いがあったと思います。

それで、女の子には優しくしたらいい、というふうに思うわけですが、傷つけないようにするために、僕なんかと近づくと他の人に体裁が悪いだろうと気を遣ったり、一人でぽつんといる人がいたら気の毒だから話しかけたいけど、うまく話せないとか、ぐずぐずとやっていました。公言されているメッセージが、男女は(お互い尊重しあって)お付き合いをするべきだ、とかいうふうになっていれば、僕は単なる臆病者になり、これから努力していかないとな、ってなってたと思いますけど、傷つけたらいけない、あまりくっついてはいけない、とやるので、その方向に進めないし、進まない口実が与えられることになります。

異性として興味が出てきて、女の子を観察していたりすると、相手に伝わったり、警戒的な人は伝わる伝わらないに関わらず、エッチと言ったりしますけど、一方で、結婚すると、仕事で疲れているのに、夜になると相手をしないといけなくなって、夜のお勤めが大変だよ、というような話がある。どっちやねん、と思ってましたが、色々な人がいて、相手にもよって、時期とか気分によって違う、というようなことでしょうか。

ちょっと脱線しますけど、風俗で働いている人のレポートとか援助交際を分析した本とかセックスのマニュアル本とか、読もうとすると気が重くなってました。何でなんでしょうか。あとセックスに関して、言葉が豊富なんですけど、引いてしまいます。

元に戻して、女の子を傷つけないようにするのがどうやらいいらしい、と判断して、友達として付き合うとか、距離を取るとか、あまり近づかないようにするとか、していましたけど、友達として相対したいのに、向こうは警戒したり、します。セックスしたいな、とか、そこまでいかなくても、惹かれるとか、相手のことが知りたいとかいう動機で近づいて、でも警戒しなくていいよ、と近づく人がいると思います。警戒心が強いからまだ時期じゃないな、と思って断念するケースがあったり、それを何とかする技術を開発したりという世界でしょうか。

女性の側も、下心があって近づいてきてる人を値踏みして、かっこいいとかきれいとかたくましいとか見て、どこまで許せるか考えている人もいるかもしれません。(この辺の情報はテレビにも載っているかな、あまり見てないけど)それでも、相手がどういう人なのか確認しないといけないし、確認が取れるまで、距離を保っておかないといけないということもあり、警戒しているよ、というメッセージを出して、ちょっと下がれ、とやるのかもしれない。

でも、相手の人に、いい学校に入って、希望の職業に就けるといいね、と言いたいだけの場合に、あなたには興味ありません、と言われたりすると、僕は傷つきやすいもので、けっこう落ち込んでしまいます。そこはでも終わりではなくて、中間地点なので、誤解だよ、と言ってもいいし、傷ついたと言ってもいいと思います。それくらいのことで傷つかなくて、相手はそういう状態なんだな、段階なんだな、と判断して、次の一手を考えられるようにならないと、しつ護者にはなれないということだと思います。しかし、単なるしつ護者、が成立するのか不明で、援助交際に近くなっていってしまうのでしょうか。肉体関係がなくても。

話を戻して、僕はかなり子供な状態にいて、親子関係で未消化な部分もあったりするので、拒絶されると傷がうずく所があります。だから、仕方ない。痛い時は痛いって言わないとしょうがない。そのうち慣れていくかもしれません。大人ぶっても問題をこじらせるだけだから。

じゃじゃ馬ならし、という言葉があり、それが難しい女性を扱う、という意味で使われることが、多分あると思いますけど、僕は少し引いてしまいますけど、難しい女性を扱えるというのは、やはり一つの高度な技術と言わざるをえません。僕はまったくそういう領域の圏外にいます。実際は、おそらくオーソドックスに普通の正確なコミュニケーションがあるだけだと思います。深い人間理解と洞察力によって、言うべきことを言い、相手が知らないことを教えてあげるという感じじゃないでしょうか。ナンパをしている所を以前テレビで見たのですが、へいかのじょーって言わないで、もしお時間あったら少し付き合っていただけないですか、という感じで、紳士的にお願いをしていました。

僕は、女性を傷つけたくない、という思いで生きていても、客観的に見ると、経験不足のもてない男がなんか空想で言っていて気持ち悪い、という状況が見えてくるという感じだと思います。局地的にも無力だし、もし有力であったとしても、社会全体からすると局地的です。というわけで、女性としては、自分を傷つけようとする人がいるかもしれないという警戒心を持って生きざるをえない。しかし、警戒しすぎると、何事も起こらないまま仕事だけして死んでいくことになる。そこで、虎児を得るために虎穴に入っていかざるをえない場面が出てくる。それは環境が悪い気もするのですが、すごい勇気があって智恵があって、やっている人は、かっこよくてすごく魅力的に見えます。ただし、そういうちょっと危ない橋を渡りながら倫理的に退廃しないで帰ってこられるか、高潔さを保てるかどうかは、自分ではコントロールできない部分もありますけど、頑張ってできるだけコントロールしようとしている姿を見ると、尊敬してしまいます。何もしないで高潔であることは簡単かもしれないけど。

僕は、間違った行動を取っていると、自分が倫理的に退廃しても、自分でそれに気付かなくなってしまうことが危険だと思って、危ない橋は渡らないようにしました。単純に、臆病な性格をそのまま活かしたともいえますが、たまたま同じ方向だったということだと思います。周りに人格的に尊敬できる人、ものの見方が確かな人がいなかったので、自分が自分を偽るようになったら、後がなかったので、自己欺瞞をしないように(ものすごく巧妙に何回でもやろうとするようです、人間って)ずっとチェックするという作業をしていました。まあ、これは余談ですけど。

女の人は強いし、姿も美しいし、才能もあるし、自然に近いし、男なんていらないじゃん、と思っていた時期がありましたけど、おぼろげながら、男性にも得意分野があるような気がしてきました。何の得にもならないようなことに一生懸命取り組む所じゃないか。それができる女性もいますけど、いまいち乗り気にならない人が多いと思います。やる気になればできるかもしれないけど、あまりやる気にならない程度のことで。だから分業で、とくに必要でないことは男性が担当したら。あまりそういう言い方をすると男性のやる気が出ませんので、言い方を変えたほうがいいと思いますけど。男性も女性もやる気が出るようなメッセージを出さないと、やる気をそぐようなメッセージが結構多いと思いますので。

あるところで、レイプの実例をいくつか聞きました。戦争があると傷ついたり寂しい人ができ、レイプなんかをせざるをえない人ができるのかもしれません。多分、自分で選択できないのではないでしょうか。その流れをどうやって変えていくか。そういう感じじゃないのかと思います。最高速度のF1カーのハンドルを切る感じで、曲がれっ曲がれっ、という感じ?戦争の傷をみんなで分担して癒そうとしているという、若干第三者的な、見方をすると、人間というものがすばらしく見えます。

僕は、男性だからか、する側に感情移入することもできますが、される側に感情移入すると、恐ろしさが想像だけでもわかります。別に殺されるわけじゃないという感じではないです。でも、案外、それほどゆがんだ部分がないと、レイプってできないのかな、と思いますがどうでしょうか。猫を殺したりできないように。

ところで子供に性的関心を持つという観点はけっこう恐ろしいものがあります。タブーにしておいたほうがいい領域なのかもしれないです。

僕としては、性的虐待をせざるをえない要素は、あまりない(誰でもゼロではないかもしれないが、それを作動させない文化装置を人間は持っているということらしい)ので、性的虐待をしないことは簡単なことで、実際は、傷つけないことではなくて、優しくできる、何かをする技術を身につけることがやるべきことかと思います。例えば、風邪をひいたときに、おかゆを作ってあげるとか、落ち込んでいる時に、気が晴れるような提案をしてあげるとか、うまく壁になって話を聞いてあげるとか、そういう愛の表現ができるようになる。愛する心を持つことは相対的に簡単で、具体的に表現することはなかなか難しい。表現しないとわからないという問題というより、この世界に生まれてきているということは、死者とは違って、表現できるという所に特質があるのだから、それをすればいいということだと思います。

動物行動学の知見、最近のは調べてないので古くなっているかもしれませんが、雄と雌が親しくなりすぎるとセックスしなくなる、できなくなる、ということのようです。攻撃性が必要だとか。優しさだけではダメなのかどうか考えるために、セックスのマニュアル本を読まないといけないのかもしれないけど、何だかそれは気が重い。