話芸について

最近は、あまり考えないで話ができるようになりましたが、子供のころは、しゃべる内容を考えてから話さないと話ができない感じであり、また、人と一緒にいても、とくにひとまとまりの話ができなくて、誰かが言ったことに反応することしかできませんでした。

仕方がないので、毎日家に帰ってから、一日の言動を反省し改善案を考えるということをしていました。

その名残りが今も残っていて、言ったけど面白くないと言われた冗談とか、タイミングが合わず言いそびれた冗談とかが、心にひっかかって引きずってしまうということがあります。

先日、看板に、犬の散歩禁止、と書いてあったので、すごい規制だなと思い、同行している人に言ってみましたが、あまり反応がなく、○○さんの散歩禁止と、人の名前を入れてみると、冷ややかな反応が返ってきました。それ、面白くないよ。リカバリ方法が思いつかなくて、そのまま放置してしまったのですが、その後、面白くないよ、と言った人が、うんちくを語り始めて、それに一同感心するようであったので、その後に、面白くないよ、と言い返してあげたら良かったな、と後で思いました。こうやって展開できなかったパターンをなぞる必要はなくて、次の展開でどう言うかを考えていったらいいのでしょう。だいたい、最初に失敗したことに囚われていたから、次の展開に乗っていけなかった所があるのですから。

それから、地図データのCDにゼンリンという会社名が書いてあったので、ここに点を打ってあげようか、と言いたかったのですが、相手の人が作業に熱中して聞いてくれなかったということがありました。