両性を生きるのが豊か、とはいいますが、自分の性を生きることに決めたほうが?

右手と左手を合わせると、右手が左手に合わさっているのか、その逆なのか、どちらかわかりませんが、キスをする場合、手と手のように、口と口を合わせているのにもかかわらず、男性が女性にしていると見なすことが多いです。最初にアクションを起こしたほうとか積極的なほうが主体ということだったら平等ですが、なんとなく女性のほうが受動的に思えます。動物学的に女性が受動的立場ということかもしれないし、文化的にたまたま受動的になっているのかもしれません。

女性の口に価値があって、男性がそれを求めるという場合、(僕は自分の口にそれほど価値を認めないし、男性の口の価値を女性が認めるということもないのではないでしょうか)男性のほうが価値をもらえる立場なので、得をしているような感じがする一方で、女性は、何もしないでいて自分に価値がある感じがして、男性より自分を評価できて安定しそうな感じがします。しかし、女性が自分の口に価値があるというのが、文化的に保証されている面もありながら、一方で、実際に求められてみないと、価値が確定しないという面もあるでしょう。とすると、もしかして自分には価値がないのではないかという不安が生まれます。それは、出合う男性の言動によって左右されます。その都度左右される面もあるかもしれません。(口は口だと思っているのに、変な価値を認めてくる人がいて迷惑だという問題もあるでしょう)

客観的にみて、一長一短だと思うので、反対の性をうらやましがるより、自分の性を受け入れて生きた方が、楽しく生きられると思います。輪廻転生理論で、性別も交代できるという説がありますが、それだと、また反対の性で生まれることもあるだろうし、今回は、こっちをやろう、と決めやすくなります。輪廻転生なんて嘘であっても、性意識が固定するというだけなので、この場合、信じてもいいのではないかと思います。(こうやって、もし嘘でも不都合がない、という想像をして、決めるという方法を僕は取っています。そういうふうにすれば、実際はどうかわからないけど、世界はこういうふうであってほしい、という世界観を信じることができます)

余談ですが、優等生的に言うと、キスは愛情表現、コミュニケーションツール、人が人に対して何かをできるツールということではないでしょうか。そのこと自体に価値があるというより、それで何を表現し、どういう関係を結ぶかという問題ではないでしょうか。

それと性同一性障害の問題などもあります。