中坊公平さんを取り上げたテレビを前に見て

森永ヒ素ミルク事件の裁判で、ヒ素が混入したミルクを子供に飲ませてしまったお母さんは、製造した会社を責めるのではなくて、自分のお乳が出なかったことを悔やむというような精神状態になっていたという。子供を思う気持ちから自責の念が出てきている、逆に言うと、自責の念が強いということから子供をどれだけ思っているかという気持ちが伝わってくる。そういう事実を、裁判の中で話をして、聞いている人の心を打ったという話がある。

僕も、重要だと自分が思う仕事を、非常に表面的なところを捉えて、やり直すよう求められることがあります。やり直したらいいだけのことなんだけど、その仕事の重要性を、ちゃんと言葉で説明できるようになれば、それに比べて、あなたの言われていることは、非常にささいなことに思えるのです、と一矢報いることができるようになる。何も相手をぎゃふんと言わせるためにそうするのではなくて、その出来事を契機として、てこのように使って、相手の気持ちを動かすことができるかもしれないということを思います。

やるべきことは、関わった人の苦労や熱意を深く理解することと、冷静でいることだと思います。苦労や熱意を冷静に語ることができたら、あとは計算なんかしないほうがいいと思います。計算したらあざとくなる。その時言うべき問題と違っていたら相手にストレスを与えてしまいますが、それは冷静さがあればクリアできるとここではしておきます。事実の重みがあれば、控えめにしていればしているほど、訴える力が増すくらいだと思われます。

違う見方をすれば、ある出来事が起こった時、すべての人にとって学びの契機なんだけど、それを利用して自分を変えられる人は、一握りという感じがします。ずっと変えていたら、疲れるし、当たり前かもしれませんけど。