クリスマス

24日と25日は、カーナビが「メリークリスマス」と言ってくれました。ちょっとうれしいですね。プログラミングとしてはすごく簡単に実現できるのでしょうが。記念日を覚えておいてくれて、不意にそれを言ってくれる喜びというのはこういう感じなんでしょうか。

でも、誕生日になった瞬間(午前0時)とかに、メールが来たりすると、若干重く感じるのです。(くれた方済みません。考察目的なので許してください)その背後には、覚えておいて時間を合わせて送信という作業が必要になります。つまり、自分もそれをしないといけないということを考えてしまうのでしょう。それが単純に億劫だということもあるでしょうが、そこまで誕生日に重きを置いていないということもあると思います。もっと大事なことが他にあると思っている。(統計上、男性があまり関心がない分野らしい)

さらには、自分のことを大切に思えてないということもあるかな。自分をまだまだ不足があるとか、強い気持ちを持つ必要があるとか思っていると、誕生日おめでとうと言ってもらって喜んでいる場合ではないのではないかと思う、のでは。

しかし、庶民の下町文化とは違った、繊細な文化圏では、人の気持ちを考えて行動する立ち居振る舞いが身に付いていないと、あちこちで摩擦を生むことになるのだと思います。誕生日を覚えておいて、さりげなく、おめでとうを言う、品物を贈る、それをすることが当たり前で、どうやって相手に不快感や負債感覚を感じさせないか、という工夫が完璧にできていて、さらに表現のバラエティーを見て、相手の個性を感じ味わうといった。そんな貴族みたいなことをこの時代にやってられないよ、という方も多いと思いますが、部分的には、地域社会の付き合いやビジネスの世界にも入り込んでいるのだと思います。たいてい形式的に模倣されるだけの部分が多いと思いますが、本当に意味がわかってやってないと問題が起こる部分があると思います。

「空気が読めない」ということが問題化されているようです。具体的にどういうことが問題になっているのか、ちゃんと調べてないのでわかりませんが、貴族の模倣をしている、そして、そうしていることに無自覚である、ということであれば、あまりやりすぎないでほしいな、と思います。色々な良さがあって、繊細であるとか、場のコントロールとか、以外にも良さがあると思うので、違う分野も評価していけるようであってほしい。多面的評価ができないことによって、何もとりえのない人というのが生まれてくる面があると思います。

カーナビは、お正月も何か言ってくれるのでしょう。