利用され、利用する関係

人を利用する人に、そんなことするもんじゃないよ、と言うのは、勉強しない子どもに勉強しなさいと言うようなもので、意味がないことが多い。何か人を感動させるようなことをした後で、信頼関係や協力関係が大切だなあ、と思ってもらえることがあるかもしれないけど、最初からそれを求めてはいけない。自分が変わることはひどく困難だということからすれば、相手の人が変わることも困難であるだろう。さらに、その人は、こちらが思うような課題を自分の課題として大切だと思っていないだろうから、なおさら難しい。

利用されそうになったら、とりあえず、かわすなり、牽制するなりするべきです。全面的に受け入れることで、違った原理を示すというのは、ありえる戦略かもしれませんが、あまりおすすめできません。理由は、人はそれまでの生き方を継続したがるものだからです。変わることをあまり期待して戦略を立ててはいけない。

そのうえで、こちらがその場にいて得るものがあるならいるべきで、それがないなら離れるべきです。障害があっても、こういうふうにしたら、自分にとって有意義な営みができる設計ができた場合にのみそこでやるべきです。

最終的には、裏切られたと言われることが少なくありませんが、そこはコントロールできません。自分として、相手にもお返しができるようにやって、足りなかった所とか、やったけど評価されなかった所は、あきらめざるをえません。

なかには、そういう小競り合いや自己保身で右往左往しているうちに大局観を失うことになるのではないかと不安になる人がいるかもしれませんが、優秀な人はけっこういるもので、大局観を持っている人もいると思います。ただし少数かもしれません。可能なんだから、自分がそうなっていけばいいと思います。