まんが喫茶に行きました。

めぞん一刻(1)
響子さんがどんな人物像だったか忘れてしまったので思い出したかったのですが、1巻だけではよくわかりませんでした。未亡人という属性。かなり素直、怒る拗ねること含め。五代くんの属性は頼りないということ。包容力がない。周囲の悪条件があっても対抗して成立していられる力強さと、人慣れ、に欠けているということか。

スティールボールラン(1)
イベントの最高責任者が、尊大なおっさんなんだけど、14歳と噂される愛人のような人の前で、子供のように不安な気持ちを吐露して、泣きじゃくる(幼児語)、というシーンがあり、個人としては弱いけど、二人で作っているシステムとしては強いとも言える、と思いました。こういう病的な内実なしに成立しうるためには、何が必要なのでしょうか。大平首相は、繊細な感性を持っていて、政治の世界で潰されずに生き残った希有の例、というような話を聞いたことがあります。背景には、子供の頃の過酷な農業の体験があったようです。それがどう効いてくるのかまではわかりません。

働きマン(4)
激務をこなしながら、恋愛も平行してやり、精神的なダメージがあっても、ハードな日々の中でなんとか解消していっているという、仕事のハードさは特殊かもしれないけど、それ以外では、多くの人がしているであろうことに対して、僕は尊敬してしまいます。

安心感を与える表現技術として(技術なのか?)、そのままでいい、悪くない、大丈夫、という表現があるようですが、多くの言葉の中で、なぜ現状肯定が選ばれるのか、というのがもひとつ飲み込めません。努力してない人は、とくに日本人では珍しいから、悩んでいる人は、いろいろ手を尽くして、でも行き詰まっているのだろうから、とりあえず、努力したことに対して認めて、一呼吸つかせてあげることが必要だという判断なんでしょうか。

独身で仕事を持っている人と、専業主婦の人との差で、主婦の人は、生活技術として、フォーマルな人付き合いのマナー、相手への配慮などを身につけていて、技量として確立しているという観点が提出されていました。技量へのフェティシズムに囚われると生きにくくなると思いますが、どうなんでしょうか。ちなみに僕はわりと囚われています。

ライフ(3)
1、2が貸し出し中だったので、3だけ読みました。15巻くらいまであるんですね。いじめの話を一気に15巻読むことを考えると気が重くなります。

高校生活への平凡な夢。彼氏を作って、映画、プリクラ、遊園地、といった想像の世界が、殺伐としたいじめやら性的暴力などで、打ち消されてしまうという内界のイメージを表現したシーンが出てきます。また、街中で座り込んで考え事をしていると、酒に酔ったサラリーマンが通りかかって売春の交渉をしてくる、しかもかなり強引にというシーンもありました。心の隙間に入りこむような形でスキンシップを取ってくる、あるいは単に高額料金を提示して暴力的に(いきなり料金を提示するということが暴力的)。夢の世界から、かなり暴力的な世界へいきなり接続する、ということは気の毒で、その心的外傷が人間性に影響を与える、かもしれないし、将来の選択に影響を与える、かもしれないし、子孫まで影響が及ぶ、かもしれない、ので、そういうふうなことは起こるべきではない、と言いたい一方、そういう世界が存在することは否認できない(あるものはある)し、非人間的と言いたくなってもやはり人間らしさの一部が効いてそういうことが起こっているだろうことは認めないといけないのではないか、それと、平凡な人生においても、誰かと関係を持つということは、おそらく傷つけ傷つくことを含むので、それも含めて臆病に身を守ることばかり考えていたら、人生を豊かさを味わう機会を逸することになるのではないか、というふうなことを思います。自分の技量でどの程度関われるか判断してということになるでしょうか。自分の身を守るだけで精一杯でもOKだということは言えるでしょうか。具体的に身体だけでなくて、誇りも守る必要があるので、身を隠せばいい、というものでないところが難しいところです。友達も守りたいとか、この全体の状況を変えたいとか、そこまでいくとなかなか大変です。

少女っぽい夢というのは、ほとんどあきらめざるをえないという話、ばかり聞きますが、男性の努力不足という面がどの程度あるんでしょうか。どうやら、素晴らしい男性は、いなくもないようですから、夢の暮らしをしている女性もいるのではないかと思いますが、素晴らしい男性は、多方面に素晴らしいのであろうから、仕事で引っ張られて多忙になり、相手してくれなくて寂しいとか、そういうふうにうまくいかないんでしょうか。

銀のアンカー(1)(2)

アメリカでしていた金融系の仕事?をハッピーリタイアメントして、ヘッドハンターとして日本で仕事を始めた人が、余暇を使って、就職活動中の学生にアドバイスをくれるという話です。実際、漫画を描いている人は誰のアドバイスを受けているのでしょうか。

まず、受けたいところを受ける、というのがいいそうです。

漫画的には、某さん(名前忘れた)が、すごみのある顔(顔に影が入る)で、容赦しないような現実的な話をする時があり、その理由なり背景なりが今後出てくるのか、就職活動の裏舞台を見ている人からすれば当然のことなのか、という興味があるかと思います。

採用側がほしい情報は、統計的にはか、人柄、熱意、可能性、といったもので、実績に関しては無関心、ということです。相手が欲しがっている情報を出すというのが原則ですから、細々とした実績の内容よりは、人柄を表すようなエピソードを入れたほうがいいということになるでしょう。それと、採用担当の人も、採用の仕事専属でないかもしれないし、専属でも、他にいろいろ仕事がある中で、面接をしているので、あまり手間暇かけていられないという人間的な事情があるようです。就職活動は入り口から入るというだけのことで、それからどう働くかが重要です。しかし、かといって、どの場所に入るかということも重要でないとはいえないので、手間を惜しむということも良くないでしょう。であるからといって、あまり考えすぎてしまうと、入ってから、他の所が良かったのではないかなどと迷うことになってきます。(ぐるぐる回る思考)

周囲でアドバイスをくれるまともな人がいたらいいですね。あまりいないかもしれないですが。