とんちんかん

反対意見を提出すると、私のことが嫌いなのね、という反応が返ってくる、ここまで極端な人はいませんが、それに近い人はいるようです。反対意見を言う人も、言い方に人の気持ちへの配慮が欠けているかもしれないし、木を見て森を見ず、思いつきを言っていて実際に無効な提案かもしれないというのはあります。しかし、意見の是非が問題になるのではなくて、人に対する好き嫌いの問題になるというのを見ていると、問題はレベルが低すぎるということじゃないかと思います。

レベルが低いといっても、人間って自分が認められたらうれしいし、無視されたら悲しいという、すごく単純なところが、かなり大きな部分を占めているようにも思います。そこが満たされていたら、頑張って毎日働けるという感じが、自分のことを考えても、そういう感じがします。

しかし、仕事をしていると、自分の素直な感情を越えて、問題があり、それを場合によって、解決し、場合によって、回避しないといけない、自分の外の現実法則を意識しないといけなくなるのでは?そういう面で仕事をする環境は、自己中心性を克服するのに役に立つと思います。自己中心性を克服できたら、人に対しても優しくできる、たとえ利害対立をした時も、ということじゃないのかな。

一方、自己中心性のうちにとどまっている人、つねに自分が愛されているか、認められているかが中心問題の人とお付き合いする時、どう考えるか。相手の思いを汲んで認めてあげるか。でも何にでも感嘆できる習慣がないと難しいか。では、距離をとって、独自に仕事を進めるか。ある程度報告を入れたら大丈夫かな。

自分の気持ちとしては、苦労してここで仕事をする必要があるのかな、と思ったりしますが、プラス面マイナス面あるうちのマイナス面ばかり見ているということで、どこへ行っても同じことになりそうだし、精神世界的な発想では、出合うものすべてに意味があるということらしいので、今自分にとって必要なことが起こっているのかもしれないので、よく見ていくといいのかもしれません。

といいつつ、僕も自己中心性を克服、というわけでもなくて、仕事の判断に対して反対意見を言われると、自己防衛的になってしまいますが、それは、仕事を守るというより、自分を守りたいのでしょう。ただし、後で、反対意見を容れて検討はしていますので、ちょっとはマシかな、と思うのですが。

判断力の問題もありますね。判断がつかないんだけど、何か言いたい時に、適当なことを言うというので悲劇が起こるという感じがします。世間体システムの外的規制で判断していた人はいざ自分の中に価値判断の軸を持てと言われても、どうにもしようがないと思います。独自判断の経験の蓄積で形作られるものだと思いますので。