情報処理からコミュニケーションへ

一日で得た知見は、必要とするだろうと思われる人に、振り分けて発信して、全部終わるとやっと一息、というふうに、ぼくは今なっている。忘れるともったいないと思うので、ごはんなんか後回しで、お腹がすいていたら、お菓子などを食べながらやってしまうこともある。
今日、図書館でたまたま「あしながおじさん」をぱらぱらと開いてみた。音楽もテレビもなしで、相手のことを想像しながら、自分が語りたいこと、聞いてもらいたいことを語る。また大学寮の消灯時間までのわずかな自由時間に収まるように書いている。時間がなければ、途中できりあげてしまう。優秀な芸人さんは、たんまなしでやり切ってしまうのと同じか。
インターネットを参照しながら、ワープロを打つというのだと、相手のことも十分想像できない感じだし、自分が語りたいことも、いろいろな影響を受けて変わっていってしまう感じがする。
仕事みたいな感じから、生活みたいな感じにしたほうが、少しでもそうしたほうが、自分にも相手にも人間にもいいと思われる。
極端なアイデア。メールは、短歌か俳句か詩で書く。入れ物が、感情を入れるのに向くものであれば、ごりごりしたものになりようがないのではないか。