スタイルの変更

普通に人と会って話すときも、人の顔を見るのが苦手です。すると相手は自分のことを好きじゃないのかな、と思う、のかな。(それすらよくわからんが)

また、僕の書いた文章は、防衛的で、プログラム文のように場合分けされていて、主張が不明確。というか、弱点を突かれるのを怖れていてびくびくしているように見える、らしい。

そして、僕の描いた絵には、そういうつもりはないのに、寂寥感がにじみでている、という。

結構、不幸なヤツみたいですが、実際、不幸なヤツみたい。他の人より条件で恵まれていた所もたくさんあるようですが、それでも全体として不幸なようです。自分の心がけ次第でもっと幸福になれた、と言われることがありますが、結果として不幸になっているようです。自分であまり気付いてなかったけど。

不幸はともかく。文章は、とらえるべき事象をとらえる表現力ということしか考えてなくて、構造など不問にしていたし、人に伝えるということに無自覚であったので、その辺を自覚して違った方法もできるように幅を広げていこうかな、と思っています。書き直しということを、あまりしなかったので、それをしないといけないかも。

自己否定感が極まっていろいろな所から退却気味になって動けなくなっている時に、動くために工夫して大義名分のために動く、というふうにすると、理由があると動けるようになりましたが、理由がない時には動けないままなようです。理由がない時には、自己否定感がそのままある感じです。自己否定感があって気の毒だね、とはあまり言われず、なんで動かない?!というふうに言われますので、前はそれでカチンときて抵抗してましたが、自分だけは自分の味方をしてあげないといけないらしいので、最近はそうしています。

自己否定感と拒絶される恐怖と人間不信と慣れてない戸惑いなどで、対人関係は苦手なままのようです。こうしたいからこうするという普通のことができないです。気がつかなくても、ごめんですませることができません。