不信感について

信頼関係を作ることに気をつかっている人がいて、気にしすぎじゃないかな、と思うことがありました。こうしたら不信感を持たれるのじゃないかとか心配している。しかし、僕が気にしないというだけで他の人も気にしないと判断することは、当然ですが、できません。とくに不特定多数の人を相手にする場合は、一番気にする人に基準を置かないといけないのでしょう。

また、先日、僕がとった行動に対して、配慮が欠けているという指摘をしてくれた人がいて、それはそうだと思ったので、今からでもできる対処をしておきました。しかし、自分で負担をけっこうかぶって、結構面倒なことになりました。その過程では、自分では、淡々と作業をこなしただけ、という感じでしたが、後から自分の中にわだかまりがあるのを発見しました。それは不信感かもしれません。指摘してくれた人も、もう少し親身になってくれてもいいのではないか、という思いがあったのかもしれません。

頭では、べつに問題にしていないのに、気持ちの面で、何か呑み込んでその場を収めたところがあるようです。そういう場合でも、にこやかに挨拶できるのが大人というものでしょうが、僕はちょっと抵抗感があります。抵抗感があるから、それを超えていかないといけないのですが、無理してしまって、笑顔がひきつるというのを心配するみたいです。(自分で思っているほどには表情に出てないみたいですけどね)

おそらく、目的が、人を嫌な気持ちにさせないとかいう所に置かれているからではないかな。そうではなくて自分の損得に目的を置いていれば、譲歩しても、目的を果たせればそれで満足であったりするわけです。あとは、抵抗感を感じるほど、元気よく相手に向かっていくということでしょうか。勢いでなんとかなるかもしれません。好意の返報性が働くのかな。