教育力を喚起するメッセージはありえるか

CMで、親心をくすぐるような内容のものがありました。家から出て自活しながら学校へ行ったり、会社へ入って何か大きな仕事をしたり、結婚したり、子供ができたり、という理想像を描く人が多いと思いますが、そういう気持ちをくすぐるような広告で、イメージUPとか商品の販売促進とかを狙っている内容のものがあるようです。

しかし、素朴な想像力をそのまま刺激して、すぐわかる広告だと、受け手が快感を受け取るだけの存在として固定していくのを助長するような気がします。子供が、理想像と違った展開を見せた時にどう考えるか、そちらについての解説のほうが重要だと思います。いい気分になる言説というものは、身近な人からも受けられるし、わざわざマスメディア等から言ってもらう必要性はそれほどないように思います。何もなければ取り越し苦労で良かったということになりますが、何かあったら、誰にもぶつけられないやり場のない気持ちを抱えて、展望も持てずに途方に暮れることになるかもしれません。

しかし必要性を感じない人は求めてないから、困ったことになった時にどうするか、というメッセージはスルーしていってしまうでしょう。でも、それでよくて、必要になった時には、アクセスできる所にある、ということでいいのかもしれません。出版という形によく乗っている感じがします。

広告を打つ側としては?表面的な歓心を買うような広告はその場しのぎでしかないのではないでしょうか。広告についてはそれでもいいかもしれませんが、商品開発も同じレベルであれば将来的に困るでしょう。本当に必要なものを提供する、ということが一番たしかだと思うので、それを求める努力というのは、表面的な歓心を買う作業と異なると思います。

一昔前のマナーと必要性を考えて新たに作り出される文化−なかには不完全であり成立してないものもあるでしょう−両者の間に摩擦が発生しており、妥協点が見いだされるまで、それは続くでしょう。ずっとそういう摩擦は避けがたいのかもしれません。