必要なことをする

自分の置かれた環境を嘆いていると、なんでも経験だからそれも良かったんじゃない?と事後的に合理化しようとする人がいますが、プラスのことからもマイナスのことからも学べるというのは本当だと思いますが、それだと教育的意図ということを否定することになると思います。計画してもしなくても同じだということになる。

それから、今やれることは沢山あります。お金がまったくないと選択肢が少なくなるかもしれないけど、少しはあって、時間があれば、色々なことができる。どの道を行っても突き詰めれば深い所に行けるだろうし、楽しいでしょう。しかし、全部やったら時間が足りない。

これをしてこれをやらない、という選択が必要な気がします。依頼されたことはできる限り最大限受ける、という人もいて、僕も、そっちが正しいような気がすることもあります。でも、選択する、という立場もありえると思います。

楽しそうなことはいろいろありますが、”赤ん坊を連れたお母さんが子どもの医療費を払えず困っている光景”などがあるのに、もう既にやっている人が沢山いる、しかもそれほど緊急性のないことをするというのもどうかと思いますので、必要だろうけどまだ実現してないことで、自分に見えている、または身近なことをしていくのがいいかもしれません。ちなみに、赤ん坊を連れたお母さん云々は、広く世の中を見ている人の視点でしょうか。細かく言うと、もっと微細な色々な苦しみがあると思いますが、考え方一つでなかったことにできるものもあるでしょう。でも、お金がないために救える命が救えないというのはなかなか動かせない。そのことだけにフォーカスできるということは、いろいろな世界を知っているということかな。

ところで、ダイハードのマクレーンさんは、泣き言を言わないですが、どうしたらそうなれるんでしょうか。夜中に飛び入りの仕事を入れられても、悪態をつくけど、他に振れないとわかると、受け入れて行きます。仕事だから。他にやる奴がいないから。でも一度やると決めると腹が決まっていて、後で後悔したりしない。もしかすると、後悔なんてゆっくりしてたら、死ぬから?あまりしてる暇なさそうですね、あの感じ。仕事だから、というのは、給料が欲しいから、じゃなくて、役割だから、必要だから、ということみたいですね。