胃が痛いのか、心が痛いのか

親戚の結婚式に行ってきましたが、結婚式は一回しかないことだし、縁起というものがあるし、失言はぜひとも控えなければいけない場所であるだろう。無難なほうが望ましい。僕は、何かやらかすと警戒されているのか、いろいろチェックが入って大変だった。
無難でそれらしいことを望む世界があって、苦しくても個性を追求していく世界がある、というふうに単純なことじゃなくて。僕の場合、個性の表現は、冗談が不発に終わった時のような、惨めな感じになっていると思われる。そして、僕からみて、行動すれば、無難にまとまる人のほうが、豊かな表現をしていたりする。
世間一般からずれた所を、なかったことにせずに(したくてもできなかった)、よくわからないそれを積極的に追求しはじめてから、長くなるけど、まだ、やりきれてないんだろうか。まだまだ、無価値な人間に見られるし、そう見られるだけの理由もあるようだ。(何もない)
世の中の人は、わりと動物的な人が多いのかな。うれしいときに喜び、悲しいときに悲しみ、親切にしたいときに親切にし、腹が立つときに怒る。作為的に世界をコントロールしようとする発想って、気持ち悪いと思われるような感じがする。
お酒の飲みすぎで、他の人の靴を間違えて持って帰ってきた。飲みすぎのせいか、胃のあたりが痛い。場所的に近いので、もしかすると、心の痛みであるかもしれないのだが。
自分らしくしていると、なんか、人が引いていく感じ、客観的にみて、そうするにたる理由がある、と思える、場合によって、軽蔑される、場合によって、すぐに記憶から消えてしまう、そして、他の人の表現をみて、そんなふうにしたかったんだ、と思っても、あんたは違う、というふうに、言われそう。
痛みや苦しみは、業界によってはとても役に立つのだけど、結婚式や結婚式的な世界では、マイナスポイントでしかないような感じでした。
逆に、自己表現が、見るに耐えないような人をどう扱ったらいいのか。こっちの立場に立ったら、僕は、コンプレックスを刺激されて、平均より、ひどい対応をしそうだ。一般的には受け入れられるところは受け入れ、そうでないところは、見てみぬふりか、少し表現をひねって意見を伝えるか、かな。それをみんなやっていて、僕は、ネガティブなほうを強調して受け取っているのかな。相手のことを大切に考えているかどうかで、受け取られ方が変わってくるかもしれない。でも好きでないと大切に思えないだろう。