モテない男

僕がモテない、ということは、世界全体にとって、どうでもいいようなことであるので、一人で勝手にモテない人生を歩んで行ったらいいような気がするが、他にも大勢モテない男の人がいるのであれば、何が問題なのか考える意味がある、という気がしてくる。
人を好きにならない、好きになっても言わない、という基本的な問題。カラダモード(寺門琢己)でない。自らの欲求を抑えて、それを誤魔化す方向へ努力をしていっている(やればやるほど本質からずれていってしまう)。楽しんで生きてない。魂を込めた仕事をしていない。
人気があるというのは、自分好みの幻想に酔わせてくれるとか、手のかかる未完成品は嫌で、誰かが育てた完成品が欲しいという、身勝手な要望もあるかもしれない。アイドル歌手の人などが、そういう夢に応えてくれるのだと思う。でもそうでないこともきっとあって、自分の本当の気持ちを誤魔化して生きている人は、話していてなんか気持ちが悪いのではないか。話さないでも表情から何か出ているのかも。
ずっと、本当の気持ちを抑えてきた人は、大人になって出すとすると、泣きたいとか甘えたいとかいう気持ちが出てくるかもしれないが、それを受け止めてくれる人はなかなかいないぞ、きっと。そんなことをしたら、また気持ち悪く思われて、モテないことになる。なので、自分で、自分を慰めたり、褒めたり、認めたりしてあげるという、見方によっては、アホみたいな作業が必要になるのではないか。
具体的に、自分を褒めるといっても、自分で自分をなでてあげる、のもアリかもしれないが、もひとつ力がないのではないか。ごほうびに、何か、素直にやってみたい、ということを、自分のために実現してあげるという好意の出し方がいいのではないか。食べ物は、おいしいものは大抵体に悪いので、一長一短だけど、文化的な刺激については、副作用が少ないと思うので、見たり聞いたりという方向へ行くほうがいいのではないかと思う。